Statement


私にとって彫刻とは人間存在の孤独の肯定である。
人間存在の根源的な哀しさに形を与え、美しさとして現すことである。
自己と他者。誕生と死。光と闇。私と現実。
分割されたそれら二つのものの境界に点を打つことである。 

彫刻


言葉は常に分割を伴う。
何か一つのことを認識するとき、片方では何かが切り落とされる。
しかし人間は言葉によってしか世界を認識できない。
私と世界における永遠のあわいを、全体として掬いあげることはできないだろうか。
その境界はどこにあるのだろうか。
その境界に立つことはできるのだろうか。
境界の上に立てば境界は消えるのだろうか。 

境界


空間と時間のなかで永遠に移ろい続ける私という現象。
それを形あるものに現すことが私にとっての現実であり彫刻だろう。
しかしそれは川を掬うようなことだ。
川の水を両手で掬いあげても川そのものは掬うことができないように
私という流れ続けるものを形に留めようとすることは矛盾に満ちている。
ではなぜ私はそれを試みるのだろうか。
それは分からないものを分からないままに理解したいからである。
生命を分割せずに理解したい。
人間を迷いのままに理解したい。
存在と時間の関係をありのままに現したい。
私と現実のあいだの永遠のあわいを捉えたい。
そのような兆しが訪れるとき私は彫刻へ向かうのだが
いつも決まって私は彫刻に裏切られ続ける。
そしてまた兆しに立とうと彫刻へ向かう。
その連続の中で何かが現れ象られるのを私は私と共に待っている。 

現象


点を打つ
白い紙に鉛筆で点を打つ
その点をレンズで拡大してみる
黒く丸い円形の
面積を持った平面が現れる
点ではなくなってしまった
僕の描いた点はどこにいってしまったのだろう
今度は一歩下がって紙のなかの点を探してみる
ほとんど見えない
僕の描いた点はどこにいってしまったのだろう
もう一回
点を打つ
点を打つ


人の像を現したい
生命を内包した像を現したい
時間を圧縮した像を現したい
ただそこに存在するだけの弱い像を現したい
人と自然のあいだに立っているような像を現したい
何者でもない像を現したい
聖なる像を現したい
醜い像を現したい
人の像を現したい