黎明の鳥


我が家は小高い山の中腹にあり、すぐ裏手は森になっている。
森にはコナラやクヌギが群生し、多くの鳥たちが集まり
朝は色とりどりの鳴き声で目覚めることができる。
この場所に引っ越しをしてきた当初はそれが嬉しくて
カメラを持って毎朝散歩へ出かけていき、まだ何も始まっていないこの世界の姿を映して
深呼吸をしてから仕事を始めたものだった。
朝の森の空気には特別なものがあった。
新しく生成された新鮮な弾けるような粒子の中にこの身を投じるだけで
自分の中の細胞も新しく生まれ変わったような気分にさせてくれる。
それは人によっては海で日の光を浴びることであったり
山の冷えた空気を吸うことであったり
人々の行き交う街の気配であったりするのだろうけれど
僕にとってはそれは朝の森の空気なのだった。


黎明の鳥

宇宙の始まりを知る者はいるのか
人間の始まりを知る者はいるのか
記憶の始まりを知る者はいるのか
私の始まりを知る者はいるのか


東の空が焼けて
新たな世界が生まれるとき
鳥達はすでに鳴いている

僕はひとり立ち尽す


この文章は、今年の夏に盛岡の喫茶cartaで展示会を開いた時に寄せたものだ。
タイトルの通り、鳥をモチーフにした作品展であり
同時に、物事のはじまりについて思索をする展示会でもあった。
僕は作品を作ってはいるが、作品展は作者一人では何も起こすことが出来ない。
店主とのやりとり、鑑賞者とのやりとりがあって初めて、作品展は作品展に成る。
それは自分が想像していたものを遥かに超えて起こり始める。
そして展示会自身が生きもののように成長していく。
その渦の中にいながら、それを見ているのが僕は好きだ。
だから展示会を開くのかもしれない。

今回もそれは起こった。
この展示会の企画段階の頃、店主と言葉のやりとりを重ねていた。
上記の文章を僕が投げかけると、店主は次のような言葉を返してくれた。


毎週水曜日に朝四時に起きるのですが、その時に無意識に思い出す言葉があります。

「夜があける前、新しい朝に向けて最初に目を覚ますのが木々や植物で
 その木の変化に鳥たちが反応して目を覚ましてる。
 彼らは太陽が昇る前に、誰よりも早く喜びを表現してるみたいにみえる」

亡くなった年上の女友達の言葉で
緩和ケア病棟での眠れない日々に様々なことに気づいたようでした。

そして店主はこう続ける。

夜明け前
一日の始まりに
木々の力を借りて
実体化した鳥は
夜の訪れとともに
星空に帰っていく

そんなイメージが湧いてきたので、展示会会期中の一日だけ
営業時間を日の出から日の入りまでにしてみようと思います。

思ってもみない提案だった。
僕一人では到底思いつきもしないし実現も出来ない。
展示会がむくむくと成長し始めていた。
上弦の月の七月十七日土曜日。
こうして一日限定の、日の出から日の入りまでの展示会が開かれることになった。


午前三時三十分。
目覚めると辺りはまだ薄暗いが、仄かに東の空が明るくなり始めていた。
しかし空の静けさとは打って変わって、森からは鳥達の大合唱がすでに響き渡っている。
彼らの多種多彩の鳴き声を森は受け止めきれずに空に流している。
いやもしかしたら森自身もスピーカーとなって音を増幅させているのかもしれない。
こんなにも賑やかな音楽が鳴っているのにいつも平気で眠っている自分が信じられない。

午前四時。
盛岡の日の出まであと二十一分。僕の家の日の出まであと四十分。
地球の自転に想いを巡らせている頃、森の音楽隊にはさらに蝉の楽団が加わってきた。
演奏会はいよいよ最高潮へ向かうかのようにお祭り騒ぎだ。
鳥たちは大声で歌い、蝉たちは目いっぱい体を震わせている。
さあ、あとは主役の登場を待つばかり。

午前四時四十分。
東の空から燃えるような太陽が顔を出し始めた。
しかし、次の瞬間。
急に辺りがしんと静まりかえった。
さっきまであれほど賑やかだった鳥たちが一斉に鳴くのをやめた。
どうしたのだろう。
蝉の声も止んだ。
僕は驚いた。
なんとも不思議な時間が流れていた。
何でだろうかと考えてみたが、見当もつかない。
考えるのをやめ、ただ空を眺めていた。

しばらく経って、気がつくと鳥も蝉も鳴き声を取り戻していた。
但しあの時の勢いはない。
想いを巡らせてみると、あれはきっと祝祭だったのではないだろうか。
新しい一日が始まり、新しい生命が生まれることへの祝祭だったのではないだろうか。
ここに自分自身という一つの生命がまた今日も新しく在る、ということの喜びを
全身で表現していたのではないだろうか。

教えてもらった彼女の言葉を思い出していた。



毎日毎日、繰り返し繰り返し、新しい事がすぐ目の前で起きている。
習慣になってしまっている行動や思考はそれに気が付けない。
起床の時間をただ変えてみただけの一日で、始めての体験はできるのだから
まだこの世界には新しいことが満ち満ちているに違いない。
この日一日、まぶたはいつもより少し重かったけれど。


(オウンドメディア『手しごとを結ぶ庭』に寄稿)