漂泊


猛々しい台風が去った次の日、僕は流木を拾うために海岸に向かった。そこには何千何万とも分からない大小様々な流木が、大量のプラスチックゴミと、時には鳥獣の亡骸と共に長い道を作るようにして打ち上げられている。その光景は永遠に続く生と死の境界線のようであり、あらゆる生命が最後に漂着する最果ての地を見るようでもある。僕はこの何処までも続く瓦礫道の脇を歩きながら、彫刻するための木を探す。真っ直ぐに伸びた者。曲がっている者。幾つかに枝別れしている者。丸っこい者。穴の空いたすかすかの者。市場でその日一番美味しそうな野菜を見つけるかのように目を凝らして吟味していると、一本の白骨化したような白い流木に出会った。表面は長い時間削られてつるつるになっている。この流木は一体何処から流れて来たのだろうかと想像する。山の奥深くで発芽し、何十年とじっと育ち、ある時大きな雨風に倒されて斜面を下り、渓流の激しい流れに乗りながら巨岩に何度もぶつかり、転がり落ちるように海まで辿り着き、今度は幾重にも被さる荒波によって表面が磨かれ、上からは灼熱の太陽に焼かれ、幾月も漂流を続け、元の姿が分からないまでに磨耗したこの流木は、今この場所に偶然にも打ち上げられ、僕の手の中に巡ってきたのだ。僕はこの木が旅をしてきた大いなる時間を拾い上げ、そこに刻まれた記憶の蓄積を想う。そこにそびえ立つ巨大で途方もないものを前にすると、僕は自分の存在の小ささを感じ臆病になりながらも、この木に何かを刻みたい衝動に駆られる。自分が何処から来て、何処に向かうのかをこの木は知っているような気がして、この木にそれを問うてみたくなり、刃を入れるのだ。勿論返事はない。じっと黙っている。けれど、その沈黙の中で、僕という生命が悠久の時の流れの一部として確かに存在していることを知るとき、静かな祝福が訪れる。


(工房からの風図録冊子『風50+』に寄稿)